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犀星の署名

犀星は献呈本のための著書や名刺への署名を多く残しています。編集者への署名では、名前の誤りも多く、あまり気にしない性格だったようです。
また、室生犀星の最後の作品集となった「好色」の中の「本のサイン」では、
「私にもサインをもとめる人があった。私はそれを一度も断った事がない。断るよりも書いた方が気持がらくであり、対手にやな思ひをさせたくないからだ。」との記載があり積極的に本への署名に応じていたようです。そのため、多くの署名入りの著書が残っています。

「芭蕉襍記」(初版)での堀口大學宛献呈署名
「芭蕉襍記」(初版)についていた堀口大學宛の名刺
昭和3年頃の為書き
左は、芭蕉襍記(初版)に添付されていた犀星の名刺です。
犀星はよく著書を知人に配っていたようです。
「室生犀星全集別冊1、2」に掲載されている日記には、ときどき寄贈先の名前がでてきます。

詩集「鶴」への墨署名
詩集「鶴」への犀星の署名
昭和3年頃の非常にまじめな墨署名
昭和3年9月15日に出版された詩集「鶴」の表紙遊び紙への署名

「室生犀星詩集」(改造社版)への識語署名
詩集「室生犀星詩集」(改造社版)への識語署名
記載されている日付から昭和4年12月9日と思われる
昭和4年11月10日出版の「室生犀星詩集」(改造社版)への識語、署名

「神々のへど」(限定50部本)への識語署名
「神々のへど」(限定50部本)への識語署名
昭和10年頃の署名
昭和10年1月21日出版の「神々のへど」特装本の中扉に書かれています。
「梅」、「笛」、「太鼓」

随筆集「慈眼山随筆」への献呈署名
随筆集「慈眼山随筆」への献呈署名
昭和10年ごろの為書きと犀星の署名
昭和10年2月15日出版の随筆集「慈眼山随筆」への献呈署名

短篇小説集「蝶」(A版270部限定)への犀星の署名
短篇小説集「蝶」(A版270部限定)への墨署名
昭和22年ごろの犀星の署名
昭和22年11月20日出版の短篇小説集「蝶」への墨署名

ベストセラーとなった「杏つ子」への署名
長篇小説「杏つ子」への墨署名
昭和32年頃の犀星の署名
昭和32年10月20日出版の「杏っ子」への墨署名

後日、犀星の没後出版となった随筆集「四角い卵」(昭和37年3月31日発行)に同様の筆跡で署名された本がヤフオクに出品されており、真贋に疑いがあります。あまりにも堂々とした筆跡で、やや犀星のものとしては違和感がありましたが、やはりという思いです。
その後、同没後出版の作品集「好色」でも同様にこの署名入りがヤフオクに出品されていました。

評伝集「我が愛する詩人の伝記」七版への犀星の献呈署名
評伝集「我が愛する詩人の伝記」七版への犀星の献呈署名
評伝集「我が愛する詩人の伝記」の昭和34年2月20日七版への犀星の献呈署名です。
献呈のところは削り取られており、犀星の「犀星生」の署名のみ残っています。


随筆集「硝子の女」への森茉莉宛の献呈署名
随筆集「硝子の女」への森茉莉宛の献呈署名
昭和34年5月29日出版の随筆集「硝子の女」の中扉に書かれています。
昭和36年4月4日発行の女流評伝「黄金の針」(室生犀星著)の「森 茉莉」の項では、昭和33年6月に初めて室生犀星を訪問し、交流がはじまり、その後に「昨日の夕方に着いた茉莉さんの手紙は、私が送った書物のお礼状が認められていたが、」との記載があります。
33年6月以降で、36年4月までの間の出来事ですから、ここに登場する書物が、まさにこの「硝子の女」の可能性は高いと思われます。

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