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「詩とその作り方(表題:詩とその作法)」 文藝創作講座(文藝春秋社編)掲載

「文藝創作講座」第十号 文藝春秋社刊(昭和4年9月20日発行)掲載分
13 フランスの詩人に就て(続き)
  この詩は全くなんでもなく書かれてゐる。あつた事をあつたまゝに讀者に話しかけてゐるかのやうである。それでゐて、我々がこれを讀むと、春光うららがなレキサンブルグ公園で遊んでゐる一人の少女を思ひ浮べる。眼が謎のやうに澄んだ、金髪の房々した、可愛い少女であつたらう。この世の苦しみも、悲しみも、またなにも知らぬ柔しい少女であつたらう。一人の男がパイプをふがしながら、哀しげに見守つてゐる。幼なかつた日の、また平安な朝夕のことを思ひ浮べながら、人の世の遊け難い憂悶に打ち沈みながら。
 (遠くて近いその日)――と、シヤルル・クロスは歌ひつづける。
 (遊くて近いその日)――やがてこの無心の少女にも。今の自分が抱いてゐる心の重荷と同じ重荷が、やがて、その暗い冷やかな手を差し伸べて来るのたと云ふ考へは、やがて人生への限りない哀愁に変じて行く。この場合、この男の気持を語るにこれ程適当した言葉は他に見当らないであらう。
 この一行は、男と、少女との間に虹をがけてゐやうに思はれる。
 詩の中の言々句々は常に韻律の上がらも、内容の上がらも、充分吟味して、その上で最も適当した言葉が使はれなければならぬ。これ以外にはどんな言葉を持つて来ても駄目だと云ふ、その言葉が使用されなければならぬのである。
 シヤルル・クロスの詩にはこの外、「十一月の雨」「雨が降つてゐる」等々、人変に優れた詩が多い。私は今それをみんな引用する暇を持たないが、「雨が降つてる」と云ふ詩にたけ就て一寸説明するならば、この詩は(雨が降つてゐる。音樂のやうだ、愛撫のやうた。止むことを欲せぬ静かな聲のやうた)と云ふ静かな一行に始まつて、傷付いた心を雨の音に打たせながら物思ひに沈んでゐる、一人の男を歌つてゐる。
 この三行の如きは知らず知らず讀者をして自分の拳の上に額を垂れしむるではないか?
我々が詩を作る揚合に先づ第一に注意しなければならぬことは、。自分は今何を歌はうとしてゐるのか? 自分の歌ではうとしてゐる気持の中で、どの気持が一番大切なのか?
詩の重点は何處にあるのか?          
 このことをはつきりさすことである。そして、それに従つて、その気持を正しく、効果的に表現する為めの技巧(表現方法)が考へられて来る。
 ただ漫然と、歌ひたくなつたことを、歌ひたくなつたまゝに羅列してゐたのでは容易に詩にはならない。
 まづ重点を定めて、それに向つて、自分の一切の感情を従属させ、結晶せしめた時こそ具に生命を持つて躍動する言葉を生み出すことが出来るのである。
この意味に於て、シヤルル・クロスの詩は確かに我々の参考になる。
      去年のものが
 去年のものがまた帰って来るのを私は見た。
 雷鳴と春と凋れたリラの花と、
 暗い僧正さまのお宅でわたしは白葡萄酒をのんだ。
 さうして相愛らずわたしの魂はやさしく扮しく痛ましい。
 何故わたしの心は何時も二人でゐなかつたのか知ら?
 さうしたらわたしの奥底にあるこの空虚は
 なくつてすんたのであらうに
 さうしたらわたしは一人の田舎僧として
 蒲公英と茴香(ういきょう)とグラジオラスの花で
 十字架を飾つたであらうに。
 さうしたらわたしたちの生活の外観は
 多少とも異なつてゐたかも知れぬのだ。
 さうしたら母よ。あなたは朝の青い日影で
 石ころの多い庭の土に灌ぐ為に
 きらきらと眩しい水の反射を
 運びなされだかも知れぬのだ。
 今ではすべてが空しいのだ。
 わだしはランプの灯影で眠らう、
 机の上にのせた拳の上に額をのせて、
 それ以外には聲を聞かぬ人のみがきく
 不断の耳語にゆられながら。
           ーーフランシス・ジャム
 ジャムの詩と、シャルル・クロスの詩とはどつか大麦によく似てゐる。それでゐて、又、全然別個の美しさを持つてゐることに気付かれるであらう。
 シャルル・クロスの詩が、陰気に咲いた秋の花なら、ジャムの詩はうららかな光の中に咲き出た春の花の朗らかさを持つでるる。とは云へそれは時雨の中に咲いたのと、春の光の中に咲いたのとの相違こそあれ、同じ十九世紀末乃至は、二十世紀初頭のフランス詩壇と云ふ花園の中で、同じ肥料を吸つて咲いたのだと云ふ点では根本に於では共通の要素から成り立つてゐる。
 それは物柔しい、平穏な霞のやうにまつはり付く、物の影を愛する気持である。
 一つの時代に於ける詩は常に共通する思想のうえに咲いた睡蓮のやうな物だ。共通性の上にはつきりと現れた特種性こがそれぞれの詩人の作品にそれぞれの美しさを与へてゐる。
 詩人は常にその時代の底を流れる最も根本的な力強い思想を感受し、それによつて、各自の特種性を益々鋭く、美しく、研ぎ磨まさなければならぬ。それによつて人の心の最奥に立てかけられだ琴線に向つて、時には微風を、時には疾風を吹き送ることが出来るのである。
 ジャムの詩に就て云ふなら、シャルル・クロスの詩が四方から次第に人の心を丸く包んで行くのに反して、彼の詩はひた押しに讀者の心を前方に押し流して行く。前載の詩に就て見てもこのことは明らかであらう。
 雷鳴と春と凋れたリラの花と
 この一行ですつかり僧正さまのお家の周園を説明してしまつた後で、すぐさま、白葡萄酒の置いてある部屋の中まで引つ張り込み、それを飲んでゐる自分の心の寂しさにまで畳みかけて行く。その間に寸分の隙もない。隙のあることが一番詩では禁物なのだ。それは作者の感情の何處かにまだ不純さが忍び込んでゐることを示すものだから。
 一度讀者の心を捉えたらそのまゝ最後まで(その時自分が感じた灼熱した感情の頂点まで)讀者の心をひつぱつて行かなければならぬ。
 その為には非常に細心な注意と努力とが必要である。
 昔からの勝れた詩篇は、さうした詩を作る時の詩人の心の用意がどんな物であるかを直接諸君に語りつけるであらう。例へば、コクト方の次ぎの詩の如き、一行一行が不思議な力を持つてゐて、讀者を彼獨特の特別室に導き入れてしまふ。
四葉のクロオバが
大きい耳で
足音を聞いてるる
石鹸玉の中へは
庭ははいれない
そのまはりを滑つてゐる。
或ひは又グウルモンの有名な次の詩の如き
     雪
シモオヌ 雪はそなたの頚のやうに白い
シモオヌ 雪はそなたの膝のやうに白い
シモオヌ そなたの手は雪のやうに冷たい
シモオメ そなたの心は雪のやうに冷たい
雪は火のくちづけにふれて溶ける
そなたの心はわかれのくちづけに溶ける

雪は松が枝の上につもつて悲しい
そなたの額は紫色の髪の下に悲しい

シモオヌ 雪はそなたの妹 中庭に眠つてゐる
シモオヌ われはそなたを雪よ惣よと思つてゐる。

 優れた詩は常はいつたいどうしてこんな詩が出来たのか? と不思議にさへ思はせる。恐らく、それを書いた詩人白身でさへ、それを書いてしまつた後では、どうしで。自身の中からかうした美しい物が生れたのか? と訝かしく思ひ返すことさへあるだらう。と思はれる。
 私は常に詩そのものより、詩作のモメントを愛する。そして、その瞬間に関しては人力を以つて如何ともなし難い。
 ただ詩人はそのモメントの生れるために、美しい詩が咲き出る苗床を培ふために全力を盡すべきである。そしてその瞬間には、虚心淡々、身をもつて全宇宙に當るの気概を養はなければならぬ。

14 プロレタリア詩に就て(その一)

 私の担当したこの講座も漸く終りに近づいて来た。
私は最後にプロレタリア詩に就て述べて見たい。が、その前にプロレタリア詩と、非プロレタリア詩(同 じく貧乏を歌つてもプロレタリア詩と呼び得ない物)とのけじめをはつきりさせなければならないと思ふ 。
こゝにこんな詩がある。
      お 手 玉
      道に逢ひて笑ましきからに降る雪の
      消なば消ぬがに戀ひ思ふ吾妹
 部屋が暗くなつて来たので
 病気の私も起きなければならぬ
 電燈をつけて
 パンを焼いて夕餉をしなければならない
 そして私は火鉢の前に坐つたけれども
 心がうつけて、いつか私は眼を瞑つてゐた

 何處からともなく

 梢をうつる小鳥のやらな幽かな音がしてゐる
 私は耳を澄した
 硝子障子をすかして見ると
 塀の上へお手玉が跳んで出る

 むすめの姿も見えず、お手玉たけが私に見える
 誰も居なくなつたうすぐらい露路へ出て
 あなたはひとりお手玉を取つで遊ぶ。
           (窪川鶴次郎氏)
 この詩人は明らかに貧乏だ。貧しい哀しさの中で獨り眼を伏せてゐる。寂しさの中に何か幽かな美しさ を探し求めてそれによつて、自らの生活を支へて行かうとしてゐるのだ。狭い自家の庭の中を、幾度も幾度も行きつ戻りつする
 人のやうに、この詩人も一つの限られた狭い心境の中を低徊してゐる。こゝに使ばれてゐる言葉は、ねり 絹よりも柔らかい。そして屢々讀者の心に柳にからまる春の露のやうにまつはり付いて行く。
 我々は今もう一度ギヰ・シヤルル・クロスの詩を思ひ浮べて見よう。そして、彼の詩とこの詩とを思ひ比べて見よう。
 そこには表現の巧さと云ふ点に於て、少しの見劣りもしないどころか、反つて、東洋的な静寂な韻律と餘薫とをちつて効果は一層に強まつてゐるのである。
 然も、この詩が果してプロレタリア詩であるかどうかと云ふことになれば、やはり断じて否た! と答へられなければならない。この詩の彼心をなすものは、「消なば消ぬがに戀ひ思ふ吾妹」と云ふ一聊の歌
によつて代表されてゐる
 ところのあえかな物の匂ひであり、それは二千年前の歌人が既に幾度となく歌ひ上けたものであり、今して猶、さうした美しさに心引かれて逡巡することは、明らかに、その人が、今日の苦しい生活に対していくらかの余裕を持つことを意味するものであり、乃至は持ちうる階級に属することを意味するものである。
 今日の日の生活の為に全く鞭打たれる馬車馬のやうに働かなければならない労働者は、あえかな物の匂ひや、影法師に心を索かれるやうな余裕を持たないのである。
 眞に切迫した生活の中から、吐息を洩す暇さへもない重苦しい生活の中からこそ、本物のプロレタリア詩が生れて来る。
 今日の人間の大部分が其處に投げ込まれてゐるところの工揚労働生活!――それは側で見る眼の三倍も四倍も苦しい
 その生活の中にある者だけが果して、吐息することさへ出来ぬ生活と云ふものがどんなに苦しいかと云ふことを知つてゐるのた。
 この間組曾で働いでゐるある友人が来て話してゐた。それによると、今日の曾属者は、(金属労働者は労働者の中でも一番智識程度が高く、労働条件も一番いゝのであるが)一日平均十時間から十四五時間の労働をしなければならない。
 金属労働者にして既に然りだ。まして、その他の紡績、セルロイド、鉱山、等々にあつては、もつと強度の搾取が行なはれてゐることは容易に想像出来る
 労働者は朝また暗いうちに家を出て、夜はもう子供たちが寝静まつてしまつてから帰つて来る。だから最近の労働者たちは、子供の顔を見ることも出来ない有様なのだ。
 然し、十四五時間ならまたいゝ、處によつては二十四時間の労働を強ひるところもあるし、三十六時間の労働を強ひられる事たつて決しで珍らしくはないのである。
 三十六時間!それは十二時間の三倍であり、今日の夕方の六時から翌々日の朝の六時までの時間である。普通の人ならこの間に二度眠つて二度起きるのに、その労働者は一睡もせすに器械の前に立つて器械と 同じやうに起ち働らかなければならないのた。
 三人の子供と、二人の親と、女房と自分と、それたけが曾つて着て生きて行く為には彼は黙つて器械のやうに従順に働かなければならないのである。さうしてゐてさへ、曾融恐慌と云ふやうな事件が突発したり、曾社と曾社との同合が起つたり、その他彼自身とは関係のない出来事のために、彼の首が飛び一家は たちまち糊口に窮する。
 かうした危い全く綱彼りのやうな生活の中で、もし彼自身が、自分の生活の想像をはつきり見定めやうと考へたならば、彼は自分の生活に全く自信を失ひただただ畏縮してしまふであらう。彼は決して甘酸い哀情の情に自らを漂はせたりするやうなことはないであらう。彼の生活條件が決してそれを彼に許さぬからである。
 かうした彼――ひとりの労働者をして決然として、自らの生活に向つで憤起せしむるものはないか?
 その時にこそプロレタリア詩は誕生するのである。

 何故ならば詩は常に、如何なる時代に於ても、不正に對する憤怒と、正義に對する情熱とを以て、あらゆる迫害に對して抗争する時、その闘争の中からのみ生れて来るものだからである。
      薄 け ぶ り
 露と埃とをふくんだ冷たい風が
 この賑やかな西洋料理店の
 椅子の下からわたしの頬を冷たく吹いて来る
 天井にある造り花の赤いもみぢの下で
 わたしは前垂のポケットに手を入たまゝ
 寂しけに立ちつくしてゐる
 こゝでは昼間から電燈がついてゐる
 こゝは昼間だか夜だか分らない
 家の中ではオーケストラがはじまり
 私はこのまゝ夜のさわぎにまきこまれる
 いやとは言へないで誰かが夜へ抱き込んで行く
 私はもうしばらく健全なタ暮を知らない

 往来に一たいに薄くけぶり
 街燈はまだ光がなくて
 夕あかりの中に薄黄色い玉に見える
 オパールの玉の様なその色が私は好きだ
 その街燈を追ふて行くと先には美しい夕焼の空があつた
 わたし達はわたし達の長細い室に鏡をならべて坐り
 互ひに溜息をつきおしゃべりをして
 美しく二度目のお化粧をする
 私は夕暮らしい夕暮にもうしばらく逢はないでゐる。
            (窪川いね子氏)
 この詩は私が今こゝにこと新らしく説明するまでもなく西洋料理店に勤める女給の生活を歌つたものである。それは決して華かでもなければ、樂しくもない。それはあらゆる倦怠の中に淀んだおりのやうに疲れに濁つてゐる。その中で彼女は、健康な生活を願つてゐるのだ。
 ――その街燈を追ふて行くと先きには美しい夕焼があつた。

 この一行には彼女の嘆きの一切が籠められてゐる。生活の重厭が益々加はるにつれ、この嘆きは益々小さく穴の中に追ひつめられて行くだらう。そして、この小さな嘆きは轍の下に押し砕かれるか、自暴自棄に爆發するか、さもなくば、面貌を愛へ、憤怒に満ちで起ち上つて来る。
その時には彼女はゝ最早詠嘆のベールをまとつてゐない。オパールの色をかならずしも好かない。むしろ、さうした物を好く自分自身を噛み殺してでも、自分自分が全体の生活を浮き上らさせるために闘争するだらう。
 私がこゝに窪川いね子氏の詩を引用したのは、これがすぐれたプロレタリア詩だと思つたからではなく、寧ろこの詩と、プロレタリア詩との差異をはつきりさせたかつた為である。
 本物のプロレタリア詩の發足はかうした生活詩(嘗てはさう云ふ名で呼ばれてゐた)の後にあるものたと云ふ事をはつきりさせたかつた為である。
 舊い生活詩の窮局は眞黒な虚無の風穴であり、プロレタリア詩の指先す彼方には黎明の空がなければならぬ。

15 プロレタリア詩に就て(その二)
     新聞に載つた寫眞
ごらんなさい
こつもから二番目のこの男をごらんなさい
これは私のアニキだ
あなたのも一人の息子だ
あなたのも一人の息子 私の
私のアニキが こゝに このやうな恰好をして
脚絆をはかされ
辨当をしよはされ
重い弾薬襄でぐるぐる巻きにされ
構へ銃をさゝれ
タマ込めさゝれ
つけ剣をさゝれて
こゝに
×××會の壁の前に
足を踏んばつて人殺しの顔つきで立たされて居る
ごらんなさい 母よ
あなたの息子が何をしようとして居るかを
あなたの息子は人を殺さうとして居る
見も知らぬ人をわけもなく突き殺さうとして居る
そこの壁の前に現れる人は

そこであなたのも一人の柔しい息子の手で
その慄える胸板をやにはに抉られるのだ
一層やにぱに一層鋭く抉られるために
母よ
あなたの息子の腕が親指のマムシのやうに縮んで居るのをごらんなさい
そしでごらんなさい
壁の向ふ側を
壁の向ふ側で
そこの建物の中で
澤山の部屋と廊下と階段と窖とのなかで
あなたによく似たよその母の息子たちが
錠前をねぢ切り
金庫をこぢあけ
床と天井とをひつぺがして家探しをしてゐるのを
物盗りをして居るのを
そしてそれを拒むすべての胸が
囲い胸や乳房のある胸やあなたの胸のやうに皺のよつた胸やが
あなたの息子と同じ銃剣で
前と後とから刺し抜かれるのをごらんなさい
おゝ
顔をそむけなさるな 母よ
あなたの息子が人殺しにされて居ることから眼をそらしなさるな
あなたの息子が人殺しにされ
その人殺しの表情と姿勢とがこゝに新聞に寫眞になつて載つたのを
そのわなゝく手でおさへなさるな
愛する息子を人殺しにされたことの前に
愛する息子をあなたと同じく人殺しにされた千人の母親たちが居ることの前に
愛する息子を腕の中からもぎ取られ
そしてその胸に釘を打ち込まれた千人の母親たちの居ることの前に
そしてあなたはその中のただ一人でしかないことの前に
母よ
私と私のアニキのただ一人の母よ
そのしばしばする老眼の目をつぶりなさるな
                 (中野重治氏)
 この詩は前の詩のやうに詠歎を持つてゐない。一度眠りから揺り醒された男は、彼が新しく得た人生観社会観を以つて、眼に映る一切の物を批判せすにはおかないのである。
 ――そしてその胸に釘を打ち込まれた千人の母親たちの居ることの前に
  そしてあなたはその中のただ一人でしかないことの前に
  母よ
  私と私のアニキとのただ一人の母よ
  そのしばくする老眼を日つぶりなさるな。
 この詩人は困難の中にあつて、その余りにも苦しい困難の前に眼をつむらうとする母親に対して、猶眼を開くことを要求してゐるのである。
 悲しみは悲しみとして、その最後の姿まで見極めろ! 決して面を反けるな! これは詩作の最初に掲けられた鉄則であつた。
 もし世の中が嘘や、ゴマカシで渡つて行けるものならば世の中は決して詩人を必要としなかつたであらう。
 今の世の中に於て。あらゆゐ不正と戦ひ僞瞞を克服してこの困難な棘の道の中に彼らの足跡を残して進むもののみが詩人たり得るのである。そして労働者は、彼らのまづ第一に戦へられなければならぬ。
 彼らは既に歌ひ始めてゐる。
 彼らの歌声は日に日に強力になりつゝある。
 我々はその多くの歌声の中から眞物の労働者の声だけを引き出しで暫らく聴き入らう。
     俺たちは傅へよう
戻つたか?
この毛布の上に休んでくれ
今日はこれで三度目だ
いくら強い君だつて
こんなにやられてたまるものか
君が呼ばれて行つてから俺たちは
壁に耳をあてゝ聴いてゐたのだ
遠くで聴えるあの笞の昔を
骨に泌み込むやうなあのうめきを
俺たちは壁に吸ひ寄せられて怒りに冷たく凍つてゐたのだ

みんなこの生傷を見ておけ
さつきまで五つだつた頭のコブが今度は八ッにふへてゐる
薄暗かつた血かたまりが、入墨でもしたやうに黒くにじんでゐる

おゝ同志よ!
傅の腕に背中をもたせて
ゆつくり体を休めてくれ
そしてその血の出る足をおさへながら
低い声だが俺の言葉を聴いてくれ
俺達十三人のものは
君と、後の二人を残して夕方街へ出されるさうだ
元気でゐてくれ!
 俺達は此處を出るだらう
 俺達は道行く人々の胸廓へたゝき込もう
 君がつかれたほろほろ声で語つてくれたあの話を
奴等は君達を坐らせ。膝の間に棒を挾んで幾人もがその両端に乗つた
指の間に筆を挟んでしぼつてしぼつてしぼり抜いた
日の中に紙をつめ込んで君達の聲を殺した
後手にしばり上げた
靴でけつた 棒で撲つた
そして君達は無埋矢埋に書かされた
「砂をつかんで××に投げました」
「背負で投げて抵抗しました」
 俺達は眞先に傅へよう
 俺達は満眼の涙で俺たちの兄嫁に傅へよう
                 (秀島武氏)
 プロレタリア詩は呪ひによつて充されてゐると私は書いた。まことにプロレタリア詩は――殊に今日の日本のプロレタリア詩は常に烈しい呪ひに充ち充ちてゐる。
 誰れが悲しい時に喜びの歌を歌ふだらう。苦しみの時に樂しみの樂を奏でるだらう。益々加はる生活苦の中にあつて、彼らが怨嵯と憤怒とをもつて詩作の根底となすのはさうしなければ生きて行けないからである。がこの焼け付くやうな呪ひの中にあつて、同じ怒りに身を投することによつて、同じ流れの中で互ひにはつきりお互ひを同志として

愛し合ふその愛情の美しさがこの詩の中にはまことによく歌はれてゐる。
 ――同志よ!
   おれの腕に背中をもたせて
   ゆつくり身体を休めてくれ
 と、この詩人は歌つてゐる。恐らくこの詩は留置場の金網の中で作られたものであつたらう。同じ主義のために傷付いた同志を慰めはげます一労働者の声が、この数行のうちに滲み出てゐる。
 プロレタリア詩は、かうした幾つかの傑れた詩によつて産声を挙げ、今や、漸く、労働者の日常生活の中にまで喰ひ入りつゝある。
      おいらの春
 俺の工場は土手下にある。隅田川のねばつこさうな水が工場わきにザワめき、北東の風が高い土手の馬糞まぢリの砂風を叩きつける。春だ! しかしおいらは春らしき何ものにも触れぬ。残業の時花見がヘリのお客のトンキョ声がべルトの止つたアイマに聞える。
 土手には桜の並木がある。
 のぼせさうな陽気に溶炉の兄弟は一人二人とぶつたをれ怪我人の出ない日とてはない。一人は脚気シヨウシンで、うす汚い三畳の二階で紙ばり天井を見つめて死んだ。田舎の親父はハシタ金いらぬと云つて男泣きした。
八百の兄弟は牛のやうに働く。御用組合は組合費だけ取り立てる。こいつはダフ幹の花見酒かも知れぬ。俺達はほんとに俺達の利益を代表して戦つて呉れる組合を望んでゐる。
黒い鉄から芽はふかぬ
おれの工場は春には地獄
土手のたんぽぽあ春には咲くが
熔鉄のホテリで人が死ぬ。

心のゆるみと奴あ云ふけれど
早出 居残り 十九時間
手祈り足祈りベルトにまかれ
おれの工場の春あ地獄
どこの風咲く 春風が咲く
おれの耳鼻ロのなか
灰と小砂を吹きつけるのが
風じや 春風じやと誰が云ふ

青空なんぞも昼飯時にや見るが
癩なボーめが吠えくさる
 「仕事しろしろ 休まずかゝれ
 青空見るなんぞたァ分に過ぎる」
おれの工場にァ煙突がない
春風ふく日にや煙が舞ふ
慣れたおいらもむせんでしまふ
煙突ない工場ァ 春ァ地獄
どうせおれいらにや春ァ来ぬものと
あきらめようとてあきらめらりよか
ハンマ持つてが男泣きに泣くよ
ハンマかはいやブルにくや
花より團子をもぢるじやないが
 花より團子 こいつめが
 花を咲かすよ地獄の底に
 おいらのまつ紅な春の花
                                  (高木建二氏-戦旗所載)
 これは一九二九年版プロレタリア詩集の巻頭に出てゐる詩であるが、この詩を讀むと。過去数年間インテリゲンチャによつて獨占されてゐた詩が、今や、労慟者白身の物となつて再び勢ひよく浮び上りつゝあることが感じられる。
この詩が持つた大変質のよい。ユーモァー、これこそ、労働者階級獨特のものであり、殊にその底を流れる根強いリズムに至つては、正しく今日ハンマーを握り、強度の搾取のもとに強力に闘争しつゝある者以外には遂ひに把握し難いものであるであらう。
      しやつぽをかむらない農夫等
 俺等は去年の秋までは
 陽にやけで赤ちやけた
 しやつぽをかむつて耕してゐお
 どんどん土を掘りあぜを作つて
 行くうちに汗びつしよりになるで

時々俺等はしやつぽをぬいで
汗を拭いてゐたもんだ
しやつぽをぬいだ時の清々しさつたらない
遠くの上り勾配できばつてゐる汽関車の
ボツボツボツボといふ音も
綺麗な秋空の中に木魂を作つてゐた
俺は畑から飲み水を汲みに川へ行く時は
何時も駈け足で行つて来た

春になつた
子供等はタンポゝやつくづくしをつみに堤の方へ唱歌をうたつて行く
俺はもう去年のしやつぽは破れてかむれないのでまる坊頭だ
どんどん耕して行く中に汗びつしよりになる
そこで俺は黒くなつた手拭で顔をふく
だがあの去年の様な清々した気にはならない
上り坂できばつてゐる汽関車の音も聞こえない
村端の電気製版の音がひどいので聞えないのだらう
あんなに毎日水をひいてゐてやがてみんな禿山になる
作次のとろこはまた水が出て稲が流されるかも知れないぞ
俺は案山子のやうにつゝたつて時々汗を拭きながらさう思ふのだがどうもならん
金蔵と俺は何かある度組合を作らうと云ふと皆一応は承知するのだがいざとなれば逃げ出す
町の巡査と田畑を取上げられるのが恐ろしいのが
村で本当にやれるのは金蔵だけだと思ふと情けなくなつてしまふ
でも本当にどうもならなくなれば
皆一團になることは出来る
だがそれは本当に食へなくなつた時のことだ
俺等はその中(うち)よいしつかりした組合を作らなければならない
堀越村のはただ酒飲む組合だ
あんなのは駄目だ てんで問題にならんわい

それにしても何時になつたら俺等の組合が出来るかそれが心配だ
食へなくなつたらどんなことでもやる
と皆は云ふ
俺等は食ふことは食つてゐるがもうこの辺から食へないのも同じぢやないかと云つたら皆変な顔をして笑つてゐた
よく考へて見たらしやつぽを特たないのは俺と金蔵だけだつた
食つてゐるのがやつとのことだ
月遅れの雑誌を買ふと煙草を喫はないでまるニ日居なければならないありさまが しやつぽなんぞ二の次ぎだ
(金蔵の親父は貧乏がいやでしようがないので息子に金蔵と名を付けたのださうだがいつまでたつてもやつぱり貧乏)
地主の息子の謙三は娘のあるくせに
毎晩オートバイで町へ夜遊びに行きやがる
俺等は何時になつたら娘を持つことが出来るんだらう
そんなことは二の次ぎだ
俺等は組合を作らなければならない
隣村の秀次が俺達の仲間になつた。
あれはしつかりものだから大丈夫だ
俺等と組合を組織することに力を合はせることを約足した
俺等は力強い組合を作らなければならない

春になつた
子供等はタンポゝやつくつくしをつみに堤の方へ唱歌をうたつて行く
 俺はときどき案山子の様につゝたつて
 ひたへの汗を拭きしやつぽのないのに気づく
 そして組合のことを毎日考へるのだ。
                                   (瀧澤二一氏――戦旗所載)
 この詩と前の「おらが春」とを比べて見る時吾々はそこに明らかに工場労働者と、農民との間に存在する明確な相違を感じる。
 一方はあくまで積極的な闘志に充ちてゐるし、一方は、勿論闘争意慾が基調をなしてゐるのであるが、それが前者にくらべればはるかに鈍重な響きを持つてゐることが感じられる。
 私は今まで幾つかのプロレタリア詩を引用して、それらによつて代表される現在の日本のプロレアリア
詩に就て語つた。
 然しプロレタリア詩は永久にかくの如く苦しい、陰惨な(‥よしそれが前途に光明を見出してゐるとは
云へ)ものなのであらうか?否、プロレタリア詩は、プロレタリアートの現段階に於ける社会的地位 の刻々の変化と共に、殊に革命前と後とに於ては全く姿を変へてしまふ。そして、その時にこそプロレタ リア詩は自からの完成に向つて層一層邁進するのである。
 試みにサヴエート・ロシアの詩人たちの作品に就て見よう。そこに吾々は、驚くべき、――吾々の感覚と区別の感覚を持つてゐるのかに思へる程驚くべき幾人かの詩人を見出すのである。
   我等は鏡の中より成長する
 見よ!――われは立つ、機械と鉄槌と溶鉄炉の間に、幾百の僚友の間に、
 上には鋼鉄の錬鉄の空間、
 四方には、桁梁と横棒がたち交り
 ナサーゼンの高さまで、のぼり、
 右へ左へと折れ曲り、
 天蓋の中にて、垂木にてつながれ、
 巨人の両肩の如く、鋼鉄の全建築を支ふ、
 それは突進的だ。弘大だ、強大だ、
 それは、尚も力を求める、
 それを眺めてわれは、ふるい立つ、
 血管には新しき鉄の血が流れる、
 われは尚も成長する、
 わら自らの身に、鋼鉄の肩と、無限の力強き腕が生れる、われは鋼鉄の建築と融合する
 立ちあがる
 両肩にて棰木を、上方の桁梁を、屋根を押しのける
 わが両足は未だ地上にあれど、頭は全建築を貫くわれはこの超人的努力に喘ぎ、しかも尚叫ぶ――「聞け 、僚友たち! 聞け!」
 鋼鉄の反響は、わが言葉を包む
 全建築は待つに耐えずしておのゝき慄ふ
 われは尚も高く登る、われは煙突と並ぶ、
 面して、話しに非ず、演説に非ず、ただわが一つの鋼鉄の言葉をわれは叫ぶ、
 「我々は勝利するのだ!」                    (ガスチョフ)
 嵐の幾年を通して、確乎として
 労働の不死を信じなければならない。
               (マシーロフ)

結語
 私が担当したこの詩作の講座も漸く終つた。私は今迄に気付いた事は大抵云ひ盡したつもりである。けれども結局、詩を作る為には、かうした他人のお説法は第二、第三の問題であつて、第一には先づ自分の心觴を鋭く、柔しく研ぎ澄すことである。
 人並以上に柔しい魂だけが詩を作るのだ。
 私は最後に、詩を作らうと志す人が是非共讀まねばならぬと思ふいくつかの優れた詩人とその詩集を紹介することによつて、この講座の結語としたいと考へる。
 まづ現代の日本の詩人から始めよう。
 私はなによりも先きに白秋の「邪宗門」と「わすれな草」とを挙げることが出来る。
 この二つの詩集は共に現代日本詩の先鞭をなすものであり、自由詩以前の完成された文語詩の珠玉とも云ふべきものである。
 ――アカシヤの花が散るぞえな
 一時かうした白秋調が日本の詩壇を風靡した。我々は今決してこの白秋調の模倣をする必要はない。又してもならない。然し、完成した詩は常に時流を越へて、白熟した詩的精神と云ふものがどんな物であるかを、説明するよりももつと手つ取り早く人々に教えてくれる。

 高村光太郎氏の「道程」
 千家元磨氏の「我らは叫ぶ」「紅」
 福士幸次郎氏の「太陽の子」「展望」
 これらの詩集はみなそれぞれに優れた気品と研ぎ澄まされた朔性とをもつて明治大正詩壇の中空に輝やいてゐる。
然し、今日これらの詩集を求めることは非常に困難である。私はこれらの優れた詩集を諸君に、すゝめる前にこれらの珠玉の如き詩篇が發刊後いまだ十年を経ずして既に都市の塵埃の中に埋もれてしまつたことを悲しまなければならぬ有様である。
 萩原朔太郎氏の「月に吠える」「青猫」、私白身の詩集に就て云はして貰ふならば「愛の詩集」
 この外、最近の優れたプロレタリア詩集をも紹介しなければならぬけれど、今は既に予定の紙数が盡きた。遺憾ながらこれで擱筆する。
                                                     (完)

  前に → 「詩とその作り方」その4

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