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愛の詩集の装幀


愛の詩集(初版)感情詩社刊 大正7年1月1日発行
犀星の処女詩集の「愛の詩集」は、その初版が大正7年1月1日に感情詩社より550部自費出版されました。
 復刻版も複数出版されており、手軽に初版の雰囲気を味わうことができます。
 オリジナルの初版は貴重で、函附きの場合には10万円以上、函欠けでも4万円以上の古書価となっています。
 復刻版とオリジナル初版の見分け方については「愛の詩集の真贋」の頁で紹介しています。
「愛の詩集(初版)」 函(裏、背、表)

「愛の詩集(初版)」本(表、背表紙、裏)



この「愛の詩集」について「室生犀星全詩集」(昭和三十七年三月十日 筑摩書房刊)の巻末の「解説」で犀星自身が、以下のように記しています。
「自費出版した処女詩集である。これを編集するまでにどれだけの詩を埋没したか、その数は相当の多きに亘つてゐる。感激の世界が若さをつらぬいてゐて、それが向ふ側に出られない悶えのやうなものが早くも詩の中では、どうにも現はれきれない有様を見せてゐる。それらを知ることのない悶えは詩の中にあるかぎり解決出来ないものであり、また、これは解決しなくともよい傷みでもあつた。詩中にあるものはその中にゐてのみ常に安定するものだ。何物もあたらしく眼に映つて来て、見てゐて気のつかないものを改めて見直した若い季節であつて、この裏側に抒情詩がすでに渦巻いてゐて私はそれに殆んど生涯をかけて打ち込んだ。
私の尤も間違はなかつたことは詩は抒情詩のほかには、一さい手をつけなかつたことであらう。私が何等 かの思想といふ至難なものに脅やかされなかつたことは、何時も何物かの思想を発見出来ない倖せを持ち 合せてゐたからであらう。」

目次
愛の詩集に 芥川龍之介
序詩
自序
故郷にて作れる詩
 はる
 桜咲くころ
 萬人の孤独
 蒼空
 萬人の愛
 朝の歌
 夕の歌
 未完成の詩の一つ
 萩原に与へたる詩
 犀川の岸辺
 故郷にて冬を送る
 小詩一つ
 罪業
 しぐれ
 くらげ
愛のあるところに
 …(割愛)
我永く都会にあらん
 …(割愛)
幸福を求めて
 …(割愛)

詳細は、「愛の詩集」の頁に掲載しています。


愛の詩集(再版)聚英閣社刊 大正9年8月15日発行
犀星の「愛の詩集」は、その初版が大正7年1月1日に文武堂より550部自費出版されました。
 その後、大正9年8月15日にこの再版が、更に昭和3年1月10日に第三版がともに聚英閣から出版されています。
初版については、復刻版(復原版)などが市場に多く流れているため比較的その書影を見ることができますが、再版、第三版はあまり目にすることがありません。
 この再版は、どちらかというと犀星の書籍の大正期の一般的な装幀で大人しい印象です。

「愛の詩集(再版)」 函(表、背、裏)

「愛の詩集(再版)」本(表、背表紙、裏)



「愛の詩集」再版について
 久しく絶版同様であつた「愛の詩集」をこんど再び公けにすることにした。「愛の詩集」は私にとつて最も記念すべき処世詩集であり、また、私が最初に世に出た懐かしい出版であつたのである。
 「愛の詩集」は大正六年十二月、私か郊外田端に居を移してからの作品をあつめたものであつて、自ら印刷や紙質や製本の交渉などをして自費出版したものである。
爾来四年間私は私の読者に、やつとその責をふさぐところの再版を見るに至つたのである。
 これらの命題であるべき「愛の詩集」の名目をもつて恰も私か愛の詩人であり、人道主義者のやうに見られるのは、いつも私の不愉快とするところである。私は、それらの郭れのものでもなく、また、それらについて曾つて進んで説明したこともない。私は私のもつ生活を直接に詩の上で物語ることによつて、私の芸術境を為すだけである。その暗い経験や、貧しい生長は、とりどりに私の詩を織りなすたてよこの糸であり、それらの体験によつて今もこれからも私の唯一つの表現が存在するだけである。私は決して浅薄な愛を説き、人道をひさぐやうなことは、ゆめさら考へたことがない。
 私は私の書物がいままた世の理解者の(小数な)手にうつされることを喜ばしく思ふ。
 一九二〇年四月 著者

目次
愛の詩集に 芥川龍之介
序詩
自序
「愛の詩集」再版について
故郷にて作れる詩
 はる
 桜咲くところ
 萬人の孤独
 蒼空
 萬人の愛
 朝の歌
 夕の歌
 未完成の詩の一つ
 萩原に与へたる詩
 犀川の岸辺
 故郷にて冬を送る
 小詩一つ
 罪業
 しぐれ
 くらげ
愛のあるところに
 …(割愛)
我永く都会にあらん
 …(割愛)
幸福を求めて
 …(割愛)

詳細は、「愛の詩集」の頁に掲載しています。

定本愛の詩集(第三版)聚英閣社刊 昭和3年1月10日発行
犀星の「愛の詩集」は、その初版が大正7年1月1日に文武堂より550部自費出版されました。その後、大正9年8月15日に再版が出版されています。初版については、復刻版(復原版)などが市場に多く流れているため比較的その書影を見ることができますが、再版、第三版はあまり目にすることがありません。
 今回は、その中でも第三版を取り上げています。
 再版は、どちらかというと犀星の書籍の大正期の一般的な装幀ですが、この第三版は、函、本ともに犀星の強いこだわりが表現されています。特に本は、書影にあるように「黒の厚表紙に赤のクロス布継表紙」との非常に特徴のあるものです。また、函の表紙には室生犀星処女詩集「定本 愛の詩集」と記載されています。
 また、この第三版で、詩の順番や題名、詩の一部に手が加えられています。下の「第三版の序」にもその旨が記載されています。
 一般的に、「定本」とは複数の出版された本に異同を照合し十分に校正して、最終的な決定版、標準として定めた本の意味で、犀星は出版の度に頻繁に作品に手を加えていますが、第三版を「定本 愛の詩集」としたことで、校訂に一度区切りをつけたことを意思表示したものと考えられます。

「愛の詩集(第三版)」初版 函(表、背、裏)

「愛の詩集(第三版)」初版 本(表、背表紙、裏)



第三版の序
 第二版は大正九年に此の聚英閣から出版され、その間に大地震の襲来があり、ソヴィェツト露西亜は遂に革命十年の紀念祭を迎えた。そして第二版から八年目に三版が今漸く上梓されるのである。書物といふものは永い間何かに埋れてゐては不意に顕れるものらしい。自分の本来のものは今も「愛の詩集」の延長となり特質となり、或る巌(いはほ)となりその地盤を自分の魂の内外に固めてゐる。
 
本詩集再刊について意味を為さないところの或二三行乃至或五六字はこれを削除した。芥川君の詩を巻頭に掲げたのは同君が大正九年に自分に初めて書いた詩だと云ひ、自分に手交して見せたもので誠に同君の最初の詩作であるらしかった。同君の全集へも自分は掲載を承諾し、自分として此詩を本詩集に掲げることは何か喜ばしい気持である。同時に同君の詩としては徒らに自分の文庫の中に秘められたものであり、その儘自分ひとりが秘蔵するに罪あることを感じ、詩を愛した絶後の友のためにこの書物を墓下に捧げたいと思ふものである。
昭和二年十一月十九日 犀星記

目次
愛の詩集に 芥川龍之介
序詩
自序
「愛の詩集」再版について
第三版の序(※掲載)
故郷にて作れる詩
 罪業
 はる
 桜咲くころ
 萬人の孤独
 蒼空
 萬人の愛
 朝の歌
 夕の歌
 未完成の詩の一つ
 萩原に与へたる詩
 犀川の岸辺
 故郷にて冬を送る
 小詩一つ
 しぐれ
 秋くらげ
愛のあるところに
 …(割愛)
我永く都会にあらん
 …(割愛)
幸福を求めて
 …(割愛)

詳細は、「愛の詩集」の頁に掲載しています。

第三版の序で犀星は、本詩集再刊について意味を為さないところの或二三行乃至或五六字はこれを削除した。」と書いているように「定本 愛の詩集」とするために作品に手を入れています。どのように手を入れているかを初版と第三版で比較してみました。赤字が改訂部分です。
故郷にて作れる詩 「はる」
「愛の詩集」(初版)掲載
おれがいつも詩をかいてゐると
永遠がやつて来て
ひたひに何かしらなすつて行く
手をやつて見るけれど
すこしのあとも残さない素早い奴だ
おれはいつもそいつを見やうとして
あせつて手を焼いてゐる
時がだんだん進んで行く
おれの心にしみを遺して
おれのひたひをいつもひりひりさせて行く
けれどもおれは詩をやめない
おれはやはり街から街をあるいたり
深い泥濘にはまつたりしてゐる

「愛の詩集」(第三版)掲載
おれがいつも詩を
いてゐると
永遠がやつて来て
ひたひに何か
らなすつて行く
手をやつて見るけれど
すこしのあとも残さない素早い奴だ
おれはいつもそいつを見
うとして
あせつて
手を焼いてゐる
時がだんだん進んで行く
おれの心にしみを遺して
おれのひたひを
何時もひりひりさせて行く
けれどもおれは詩をやめない
おれはやはり街から街をあるいたり
深い泥濘にはまつたりしてゐる
故郷にて作れる詩 「桜咲くところ」
「愛の詩集」(初版)掲載
私はときをり自らの行為を懺悔する
雪で輝いた山を見れば
遠いところからくる
時間といふものに永久を感じる
ひろびろとした眺めに對ふときも
鏡角な人の艶麗がにほふて来るのだ
艶麗なものに離れられない
離れなければ一肩苦しいのだ
その意志の方向をさき廻りすれば
もういちめんに楼が咲き出し
はるあさい山山に
まだたくさんに雪が輝いてゐる

「愛の詩集」(第三版)掲載
私はときをり自らの行為を懺悔する
雪で輝いた
山々を見れば
遠いところからくる
時間といふものに永久を感じる
ひろびろとした眺めに對ふときも
鏡角な人の艶麗がにほふて来るのだ
艶麗なものに離れられない
離れなければ一肩苦しいのだ
その意志の方向を
先廻りすれば
もういちめんに楼が咲き出し
春浅い山山に
まだたくさんに雪が輝いてゐる
故郷にて作れる詩 「萬人の孤獨」
「愛の詩集」(初版)掲載
私はやはり内映を求めてゐた
涙そのもののやうに
深いやはらかい空気を求愛してゐた
へり下つて熱い端厳な言葉で
充ち溢るる感謝を用意して
まじめなこの世の
その萬人の孤獨から
しんみりと与へらるものを求めてゐた
遠いやうで心たかまる
永久の女性を求めてゐた
ある日は小鳥のやうに
ある日はうち沈んだ花のやうにしてゐた
その花の開ききるまで
匂ひ放つまで永いはるを吾等は待つてゐた

「愛の詩集」(第三版)掲載
私は
やはり内映を求めてゐた
涙そのもののやうに
深いやはらかい空気を求愛してゐた

へり下つて熱い端厳な言葉で
充ち溢るる感謝を用意して
まじめなこの世の
その萬人の孤獨から
しんみりと与へらるものを求めてゐた
遠いやうで心たかまる
永久の女性を求めてゐた
ある日は小鳥のやうに
ある日は
打ち沈んだ花のやうにしてゐた
その花の開ききるまで
匂ひ放つまで永い
を吾等は待つてゐた
故郷にて作れる詩 「蒼空」
「愛の詩集」(初版)掲載
おれは睡いのだ
かれはかう言つてやはり睡つてゐた
かれの上には
大きな蒼蒼とした空が垂れてゐた
かれの目は悲しさうに時時ひらく
日かげはうらうらとしてゐる
地主が来て泥靴をあげて蹴りつけた
けれどもかれはすやすやと
平和にくつろいで寝てゐた
やがて巡査が来て起きろ起きろと言つた
かれはしづかに眼をあいて
また睡つてしまつた
みんなは惘れてかへつて去つた
草もしんとしてゐた
蒼空はだんだんに澄んで
その蒼さに充ち亘るのであつた

「愛の詩集」(第三版)掲載
おれは
睡いのだ
かれはかう言つてやはり睡
り続けてゐた
かれの
頭の上には
大きな蒼蒼とした空が垂れてゐた
かれの目は悲しさうに時時ひらく
日かげはうらうらとしてゐる
地主が来て泥靴をあげて蹴りつけた
けれどもかれはすやすやと
平和にくつろいで寝てゐた
やがて巡査が来て起きろ起きろと言つた
かれはしづかに眼を
見開いて
また
睡り込んでしまつた
みんなは惘れてかへつて去つた
草もしんとしてゐた
蒼空はだんだんに澄んで
その蒼さに充ち亘るのであつた


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