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「詩とその作り方(表題:詩とその作法)」 文藝創作講座(文藝春秋社編)掲載 |
「文藝創作講座」第二号 文藝春秋社刊(昭和4年1月20日発行)掲載分
「私は今十五歳です。私は作家に成る天分が有ることを急に発見しました。私は朝から夜まで働きづめに働いてゐます。しかしもうじつとして居れません。
私は書かなければなりません。私は貧乏な生活に飽き飽きして居ります。
これは露西亜の一人の少女が、ゴオルキィに「小説の書き方」を教へて呉れと生眞面目に乞うた手紙である。
どうして此少女は小説などを書かうと思ひ立つたのだらうか? 小説などを書くことは難しい。その難しい小説を此少女は何故書かうと決心したのだらうか。それは此少女は、生活の中に夢想してゐたものは、書くことに依つてのみ、實際に齎(もたら)らし得ることを知つたからである。それで彼女は小説を書くことを決心した。
腐つた地下室の空気、塵埃に薄曇つた硝子窓、かじかんだパンと水。彼女が帰つて行く家の貧しさ。傷けられた精神は生活の不如意に積極的に反抗し始める。かくして詩の母胎である詩的精神はあらゆる場合に血汐を浴びた反抗の車に乗つて現れて来る。よきものゝ、所有しない物に封する絶えざる慾求。戀(こい)無き者は戀(こい)を、塵肺の中に静寂を、悲惨はひたすらに平和を、屈従から権力ヘ、野蛮は文明典雅を、――詩的精神は常に人間生活の歪曲の、(それが外面的境遇的であれ、内面的、或は遇然的であれ)、訂正を要求し、一切の所有せざるものに封する慾求、厭迫者への呪詛となつて現れる。
これが詩の本質である。詩的、或は詩人的なるものゝ最初にして最後の鍵である。
詩的精神無き文藝詩歌は絶対に有り得ない譯で。リアリズムの本体にも詩的精神の爪の跡を見ないことは無いのである。自然主義の現實曝露は平俗無味の現實生活を憎悪するところから出發してゐる。フロオベルは凡庸を憎む為にボヴァリイ夫人を書いてゐる。一般に世俗作家としで見られてゐるモオパッサンは巴里の小役人、小金を持つた寡婦退職軍人等の所謂プチ、ブルジョアの無智の悲劇を書いてゐるが、彼程の悲痛を以て人間生活を愛し、希求した者も稀らしい。さもなくば彼は自殺までに追ひ詰められることもなかつたのであろ。
あらゆる時代に於ける詩人がこの現世的苦痛の代辨者となつてゐる。時代に依つて詩人の向ふところも異つてゐるが、何時の時代にでもその時代の病弊を敏感に感じてゐることは實際である。詩人を以て空想的、夢想的存在とするのは、彼自らの愚昧を勇敢に白状してゐるに等しい。詩人を以て現實的無能力者とするのも一知半解の徒と云ふべきであらう。我カは百人の将軍よりも1人のビクトル・ユウゴオを持つことを誇りとする。
詩を感じない人間こゝでは論外としよう、それ等の人々は實に神の如く幸幅であるのだから。
我々はあらゆる時代の革命家の生涯と為事に詩的精神の實際的証明を見ることが出来る。時代的病弊に対する反撥は革命家の生涯を貰くところの鉄の笞となつてゐる。マルクス、或はレエニンの論文が詩的精神の激しい裏付を持つてゐることは雷電の如きものがある。よき為事は常によき眼を持つてゐるものである。この道は、あらゆる道がローマに通する如く、詩の本道となつてゐる。
祈れば、樹の上の果實、濶然として落下す。祈れば青きもの赤くなり、形なきもの形を現す。詩を求めない者に絶対に詩は有り得ないのである。
こゝに一つの詩を引かう。
三人の親子
或年の大晦日の晩だ。
場末の小さな暇さうな、餅屋の前で
二人の小供が母親に餅を買つてくれとねだつて居た。
母親もそれが買ひたかつた。
小さな硝子戸から透かして見ると
十三銭と云ふ札がついて居る売れ残りの餅である。
母親は永い間その店の前の往来に立つてゐた。
二人の小供は母親の右と左の袂(たもと)にすがつてランプに輝く店の硝子窓を覗いて居た。
十三銭と云ふ札のついた餅を母親はどこからか射すうす明りで帯の間から出した小さな財布から金を出しては数へて居た。
買はふか買ふまいかと迷つて、
三人とも黙つて釘付けられたやうに立つて居た。
苦しい沈黙が一層息を殺して三人を見守つた。
どんよりした白い雲も動かす、月もその間から顔を出して、
如何なる事かと眺めて居た。
然うして居る事が十分餘(あま)り
母親は聞えない位の吐息をついて、黙つて歩き出した。
小供達もをとなしくそれに従つて、寒い町を三人は歩み去つた。
もう買へない餅の事は思はない様に、
やつと空気は楽々出来た、
月も雲も動き初めた。然うしで凡てが移り動き過ぎ去つた。
人通りの無い町で、それを見て居た人は誰もなかつた。場末の町は永遠の沈黙にしづんで居た。(千家元麿)
この詩は以上述べた詩的精一の實際的例證として恰好のものである。どうして詩が必要かは問ふまでもない。かうした生活の中に詩が生れることが私の言はうとすることを言ひ盡(つく)してゐる。
私どもはよく小學校の門の前でうつとりとした静かなあまい心持で、女の子達のやさしい唱歌に聴きとれることがある。
子供らの声はよくピアノに合ひ、よくなじんで、愉快な温かさを含んで、聴くものをして一種の哀感と幼穉(ようじ)なしめやかな新らしさを持つて迫つて来るのであつた。数十人が持つところの、いろいろな高い声や、低い声や、美しい透つた調子や、むつれ合つて心もうつとりすろ清純さや、私らをして、高い優しい感情を起させるそれらは、私共がよく外室するとき街で聞くところである。
あれらの唱歌の中にこもつてゐる子供らしい感激された音樂が、私どもをして少年時代のことを思はしめ又心を樂しましめる。一人一人の子供らの心に、恍然としたピアノの音色がとけこんで、彼等の無邪気な、あけ放した声音と世にも美しい音樂を盛り上けるのである。
彼等の幸福さうな唱歌をうつとりとして聴く我々は、明らかにあの温かい音樂に心を慰め、又、清い子供時代の夢のあとを訪ねるやうなものである。私共も叉、ああいふ美しい心で、ときには高々と詩を讀むことがある。自分の書いた詩は、自分の苦しみを救つてくれる。自分を慰める。又、讀む人々の心に、いろいろな慰めをも加へて行くことが出来る。
もし、あれらの子供らから、あの美しい唱歌の時間をとり上けてしまつたらどうなるであらう。子供らはどんなに寂しく、そして味気なく學校へ通ふことであらう。それと同じいやうに、我々もまた、この苦しい苛酷な現實世界で、「心の唱歌」を求める。「心の唱歌」は「たましひの糧」になつて、精神をめぐり、精神を樂しませ、又洗ひ清めるのである。美しさを磨き上け、鍛へ上げ、立派にし、より美しくするものである。
眞實のことを書いたものに、悪い詩は無い譚である。幼稚なところがあつでも、決して悪い詩ではない。眞實のものに生命がある。
我々は美と眞との世界に(詩を書いてゐる時)抱擁される時に、我々の心持には、うつとりした、ほれぼれした。
その瞬間には全世界の何物の侵入を許さないほどの、美と生命とを感じてゐる。我々が愛するものを抱擁するやうに、「ああいヽ」といふ感じを、自分の詩作に感じてゐる。例へば、どんな気難しい時にも、荒くならうとする時にも、詩はやさしく静まらせ、落ちつかせる。やさしい、やはらかいものに包れてゐるやうな幸福な気分が、我カの全体にみち亙つて来る。我々はその凡てに抱かれる。
我々は卑しいものから離れて、いつのまにか苦しい世間の生活を離れて、静かに自分だけの世界に澄み切つて、詩を書くことが出来る。その樂しさの中に、我々は生カして勇気を以て生きることが出来るのである。
我々は凡ての正しくないもの、濁り汚れた貧しいもの、虚偽なるもの、不潔なるもの、うそつぱちなるもの、模倣的なるもの等に對して、或は懲らしめ、曝露し、救済する。心からの詩を書くやうに、さうすれば、どれだけ幸福で、慈愛で、正直であることか。凡て本気で書かれた詩は、眠つてゐるものを醒し、疲れたものにカを与へる。讀む人にとつてよい水のやうに、またパンのやうになる譚である。
詩は自然に生き、根を持つてゐる。自然を握り求むればいい、そこに凡ての根本的な詩の殿堂がある。
一口に云へば、美は正しく偽らない感情より外にはない。自然に根を持つたものの外には有り得ない。美を掘り求める人にのみ、美は存在する。姿を現しで来る。美は永遠の底深く潜在してゐる「人間の智慧」である。
人々は複難な感情の所有者である。如何なる人々にも朝タには、或はふいとしたことから悲しい想念が湧いたり、又明るい喜ばしい心の起つたりする、制止することの出来ない複難な心理に、美は織り込まれ、反応するものである。
美しいものばかりが美そのものではない。磨いたやうな世界には却つて「眞實の美しさ」は無い。凡ての自然の中に、その純粋なもののうちにのみ、極めて美しい本質を持つたものが苦悩の中にあれば、その美に加つた悲哀がなほそれらを美しくする。風雨に打たれた植物やその花の色香や、又、内面に苦悶を持つた人に異常の美が現はれることを我々は知つてゐる。
あらゆるタ焼といふタ焼は、その華やかな色や形に於て美しいものである。しかし、更に美しい感情を起させるものは、嵐の後のからりと晴れ上つた空、嵐の前の恐しい擾亂の潜在した静寂の一瞬にも現はれてゐる。
ロダン曰く「凡ての美とは、會得することである。」と。物を正確に見て理解すること、理解の深浅に依つて決定される。
詩を書かうとする時は、生れ変つたやうに正直で眞率になることである。
詩を書く前に、書くべき事柄をゆつくり考へ、充分に心を磨いてから、静かに書いてゆけば、きつと書ける。詩は難しいものではない。詩は分り難いものではない。
詩は人力が讀んで樂しみ救われ愛せられるものでなければならない。詩はときには、美しい温かい呼吸となつて、心の荒み疲れたものを慰める。詩は疲れたるものにとつて、晩の茶卓の上で待つところの貴い心の友である。
如何なるものが詩に書かれ得るか? 如何なる素材が現實から抜き取られて詩の骨格となり得るか?
詩に書かれ得るものは無限である。森羅萬象のすべてがその封象となる。しかし詩には詩の自らの限界を 持つてゐる。これは封象を限るものでぱなく、詩には詩それ白身の形式を持つてゐるもので、形式を無視
して、實際に詩の創作は有り得ないからである。
實際に内容と形式を離して考ることは出来ない。内容のみ、或は形式だけを問題にする者もあるが、藝 術が形象文字に依つて、我々の感覚に初めて触れて来るものである以上、内容あつての形式であり、形式 あつての内容であることは論を侯たない。
こヽで詩と呼んでゐるのは自由詩の謂である。自由詩とは詩形に字数及び行数を制限した日本古来の詩歌及び、明治時代に行はれた七五調の新体詩に封して呼ばれた字数行数に外面的制限を持たない現在一
般に詩と呼ばれてゐるものを指して言つてゐる。
自由詩に就いては、こゝでこれ以上書かないが、萩原朔太郎氏の最近の専門的著書「詩の原理」を一讀 されゝば充分であると思ふ。
詩の形式は他の文学形式に比べて非常に短く小さく、一行、或は数文字を以ても詩となり得る。ホーマーのオデッシイ、或はパイロンの「解放されたプロメチユス」の如く、膨大な長篇の形式を持つた詩もあ るが、それに詩形の節奏を利用して、物語の筋を述べて行つたもので、行は行を追うて韻を踏み、一章を 以て一篇独立の詩となつてでゐるのである。しかし今日ではかゝる形式でも長篇叙事詩は滅びた。それは今日の小説として發達した。詩は本来の叙情詩に帰り、余り長い詩は實際として用ゐられることが少い。
それは詩の形式を最も有効に生かす為には、出来るだけ短く、印象の散漫を防がなけれぱならないからである。マグネシウムの燃焼する如く、詩それ自身、燃焼する事を必要とするその為にはいきなり對象の木質を手掴みにして投げ出す方が最も効果のある方法である
。
現實生活の燃焼、人々の感情が密集して、一つの團りになり、それが突き上つて来る所を、いきなり切 り取る。この時に創化された詩が最もいゝ詩であると云ひ得る。
詩は言葉と言葉が組み合ひ、結合して二つの感情なり、(それが風景の中から掴まれようと、運動の中から或は生活の悲喜であらうと、)想念なりを正確に、作者の企圖したイメージに於て讀者に傅へなければならない。この為には言葉の選択に非常に敏感であること、それだけでは響のない言葉でも或る組み合せの下では、効果を上けること、(即ち何時でも一つの言葉は符牒以外のものではない。)言葉にも色や音樂があること、言葉の表現形式の文字の性質をよく辨へること、等は第一に詩作に際して問題となつて来る。
1 あかい、
2 赤い、
3 紅(くれな)ゐ、
4 くれなる、
この四行の表現は夫々異つた感じを持つてゐる。(1)の場合はすなほに音樂的に感情を傅へる。(2)の場合は色の感じを出してゐる。(3)になれば更に強くなつてゐる。(4)になれば、(3)に比べて、或は(1)に比
して、全然別の和かな色調とリズムを持つてゐる。
詩作の第一は言葉と文字との関係を印象の微妙なところまで知つて置かなければならない。
白い珠をへだてて
毎日ふたりの美しいあいのこが来てゐた
薔薇いろをした頬がロに焼け
みのつた杏のやうに汗ばみ
その白い小鳥はすばやく走つて行つたり
どうかすると天へ吊り上けられるやうに
すべつこいコートの肌の上に
白い珠の舞ふ網張りのなかで
翼の色の異つた小鳥たちが走つてゐる。
(小鳥たち--室生犀星)
この詩の實際の情景は二人の娘がテェスに遊び戯れてゐるのであるが、こゝに對照してゐる句を抜いて見よう。
1 白い珠――白い小鳥
2 ふたり――あいのこ
3 薔薇いろ――みのつた杏
同じく對照はしているが、(1)(2)(3)は夫々異つた對照を一つ一つに就で説明する必要もなく明らかに作つてゐる。
言葉は稚拙で思ふやうに表現出来てゐないやうな詩でも、純眞な気持から書かれてゐる詩なら、いゝ詩だと云ふことは出来るが、詩とは文字と言葉の音によつて傅へる以外に道の無いものである以上、飽く迄も言葉の選択練磨は忘外することの出来ないものである。實に言葉以外に詩を生かすものはないのだから。
如何なる詩をいゝ詩とするか? それは今まで述べて来た事から了解されたことゝ思ふが、これだけの事は云へると思ふ。第一に、非現實的な言葉、即ち抽象的な言葉の對照、羅列の多い詩。-ー怒濤、奮激、悲哀、憂欝、幽遠。
これ等に類した言葉を乱雑に使用したもの、或いはナイーブ、デリケイト、メロデイカルなどゝ云う外国語を無暗に折りまぜたもの、かう云つた欠点を持つた詩は多く内容の空疎を暴露してゐる。感情は具象的に表現されてゐなければならない。具象的に表現されて、初めて讀者に感銘を与へる事が出来るのである。具象的な表現とは如何なる表現か?
こゝに新しい疑問が出て来る。
以上簡単に内容と形式との関係を述べた。或る物を表現しようといふ希望から詩作の筆を取れば、其處 に形式的活動、即ち表現が生れて来る。感情は表現待つで初めて我々の前に作品として提出される。表現 を持たぬ藝術家といふものは無い。――歌はざる詩人が詩人でない如く。感情それ自身は藝術活動の範囲 外のもので、何物も生み出すものではない。表現の欲求の生れたところに感情ではない観照が生れる。即 ち表現は観照如何によつて決定される。
観照とは見ること、即ち知ることである。如何に見るかは表現の根本となる。藝術創作を志すものゝも大切なことは鏡の如き観察者としでの自分を知ることである。野獣は悲喜の感情を感することは出来る。しかし如何に感ずるかを知ることは絶対に無い。
具象的なるものとは何かを第一に明らかにしよう。我々の生活の中での、悲哀、憂愁、痛苦、戀愛はそれ白身としては元々具体的なものである。それは何らかの環境や、思想や、健康や、その他の些末な条件の中で生れたものであることは云ふまでもない。この具体的な内容を托するものは、抽象的な符牒の言語でる。言語は夫自身表現されたものではない。この言語の連絡結合で一つの文章となり、――具体的なもの、感情の機微を表現するのである。建築材料、木材、石、セメント、ぱそのまゝでは材料でしかないが、それが一定の設計の下に結合された時、家屋なり、橋なりの建築物が出現する。建築されたものは具体的な建築物で、用ゐられた材料はその構成の部分ではあるが、既に材料としての機能を失つたもので、この場合、材料は抽象的な存在で、建築物といふ具体的なものゝ出現を待つて、初めて材料は具体的な存在を持つたのである。具体的に表現されない以上。それは事物や感情を正確に傳へるものではない。
具体的に(即ち具象的に)表現された例として一つの詩を引いて説明して行かう。
初めて小供を
草原で地の上に下して立たした時
小供は下許り向いて、
立つたり、しやがんだりして
一歩も動かず
笑つて笑つて笑ひぬいた、
恐さうに立つては嬉しくなり、そうつとしやがんで笑ひ
その可笑しかつた事
自分と小供は顔を見合しては笑つた。
可笑しな奴と自分はあかりを見廻して笑ふと
小供はそつとしやがんで笑ひ
いつまでもいつまでも一つ所で
悠々と立つたりしやがんだり
小さな身をふるはして
喜んでゐだ。
(「初めて小供を。」――千家元麿)
この詩は非常に平易な言葉で書かれてゐる。恐らく誰が讀んだとしても、この詩の註釈を求める人は無いだらう。
それ程事物を具体的に表現してゐる。そしてこれは言葉通りにいゝ詩だ。大変に難解な字句を羅列した詩があるが、説明する人も説明される人も、或る妥協した抽象観念でうなづき合ふ外はない場合がある。そのやうな詩を私は詩として推奨出来ない。前例の千家元麿氏の詩は、實際に話してゐるやうに書かれてある。日常の会話で抽象的に、事物を物語る人は恐らくないだらう。
幼児が最初に覚える言葉は、神様だとか、うれしいとか、かなしいとか、抽象的な観念や、感情的な言葉ではない。
――マンマ(御飯)、ワンワン(犬)、ブウブウ(自動車)といふ具体的な言葉である。
それから詩を二三引いて見よう。夫々に就いて讀者は了解することが出来るだらう。
恐ろしい山の相貌(すがた)をみた
まつ暗な夜空にけむりを吹きあげてゐる
おほきな蜘蛛のやうな眼である。
赤くちうちうと舌をだして
うみざりかにの。やうに平つくばつてる。
今にも何か襲つで来るけはひがひそんでゐる。
日が全く暮れると雲の中で稲妻はますます壮んになる
音もなく爆發したり、燃えたりあはただしく光つては消える
続き → 「詩とその作り方」その3 前に → 「詩とその作り方」
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