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詩「犀川の岸邊」の変遷

処女詩集「愛の詩集」に収録されている「犀川の岸邊」についてその後の変遷について調べてみました。
比較対象としたのは、以下の3冊です。


「愛の詩集」感情詩社刊          大正7年1月1日発行
「ふるさとを訪ねて 石川」泰光堂社刊  昭和34年4月15日発行
「室生犀星全詩集」筑摩書房刊     昭和37年3月10日発行

犀川の岸邊 処女詩集「愛の詩集」に掲載された詩 


「愛の詩集」感情詩社刊        大正7年1月1日発行
犀川の岸邊

茫とした
ひろい磧(かわら)は赤く染まつて
夜ごとに荒い霜を思はせるやうになつた
私はいくとせぶりかで
また故郷に帰り来て
父や母やとねおきしてゐた
休息は早やすつかり私をつつんでゐた

私は以前にもまして犀川の岸邊を
川上のもやの立つたあたりを眺めては
遠い明らかな美しい山なみに對して
自分が故郷にあること
又自分が此處を出て行つては
つらいことばかりある世界だと考へて
思ひ沈んで歩いてゐた
何といふ善良な景色であらう
何といふ親密な言葉をもつて
温良な内容を開いてくれる景色だらう

私は流れに立つたり
土手の草場に座つたり
その一本の草の穂を抜いたりしてゐた
私の心はまるで新鮮な
浄らかな力にみちて来て
みるみる故郷の滋味に帰つてゐた
私は醫王山や戸室や
又は大日や富士潟が岳やのの
その峰の上にある空気まで
自分の肺にとれ入れるやうな

深い永い呼吸を試みてゐた
そして家にある楽しい父母のところに
子供のやうに あたたかな爐(いろり)を求めて
快活な美しい心になつて帰つて行くのであつた


「ふるさとを訪ねて 石川」泰光堂社刊  昭和34年4月15日発行
犀川の岸辺

茫とした
ひろい磧(かわら)は赤く
もみいで
夜ごとに荒い霜を思はせるやうになった
私は
幾年ぶりかで
また故郷に帰り来て
父や母やと
寝起きをともにしていた
休息は早やすっかり私をつつんでいた
私は以前にもまして犀川の岸辺を
川上の
の立ったあたりを眺めては
遠い明らかな美しい山なみに対して
自分が故郷にあること
また自分が此処を出て行っては
辛いことばかりある世界だと考えて
思ひ沈んで歩いていた
何といふ善良な景色であろう
何といふ親密な言葉をもって
温良な内容を開いてくれる景色だろう
私は流れに立ったり
土手の草場に
坐ったり
その一本の草の穂を抜いて
見たりしていた
私の心はまるで新鮮な
浄らかな力にみちて来て
みるみる故郷の滋味に帰っていた
私は医王山や戸室や
または大日や富士写が岳の
その峰の上にある空気まで
自分の肺にとれ入れるような
深い永い呼吸を試みていた
そして家にある楽しい父母のところに
子どものように あたたかな爐(いろり)を求めて
快活な美しい心になって帰って
ゆくのであつた
この「ふるさとを訪ねて 石川」では、部分的な修正のみで、漢字とひらがな表記の修正が多く見られます。

「室生犀星全詩集」筑摩書房刊     昭和37年3月10日発行
犀川の岸辺

茫とした
ひろい磧(かわら)は赤く
もみいで
夜ごとに荒い霜を思はせるやうになつた
私は
幾年ぶりかで
また故郷に帰り来て
父や母やと
寝起きをともにしてゐた
休息は早やすつかり私をつつんでゐた
私は以前にもまして犀川の岸辺を
川上の
の立つたあたりを眺めては
遠い
明らかな美しい山なみに対して
自分が故郷にあること
自分が此処を出て行つては
辛いことばかりある世界だと考へて
思ひ沈んで歩いてゐた
何といふ善良な景色であろう
何といふ親密な言葉をもって
温良な内容を開いてくれる景色だろう

私は流れに立つたり
土手の草場に
坐つたり
その一本の草の穂を抜いて
見たりしてゐた
私の心はまるで新鮮な
浄らかな力にみちて来て

みるみる故郷の滋味に帰つてゐた
私は医王山や戸室や
または大日
連峰や富士写が岳の
その峰の上にある空気まで
自分の肺にとれ入れるやうな
深い永い呼吸を試みてゐた
そして家にある楽しい父母のところに
子どものように あたたかな爐(いろり)を求めて
快活な美しい心になって帰ってゆくのであつた
この「室生犀星全詩集」では、大胆にいくつかの行が削除されています。

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