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結城信一と犀星

結城信一氏の「初版本を蒐む」

結城信一氏の犀星に対する思いはただならぬものがあり、「室生犀星全集 12巻」(新潮社刊)の附録の月報10にその思いが綴られています。

その中に「初版本を蒐む」という題で、その思いが恐ろしいほどの表現で書かれていました。

「ある日私は『黒髪の書』を通讀した。そして、あるページにさしかかったとき、遽かに烈しい戦慄を覚えてきた。私は全身を室生犀星の火でやかれてゆく思ひがした。それはまさに恐ろしいほどの一ページであつた。」

『黒髪の書』の、あの一ページから受けた衝撃ほど劇烈なものはなかつた。私はそこで眼を洗はれ、室生さんの著書を徹底的に蒐集し、その世界を探求し、その一ページにまでたどりついた作者の足どりを追ってみよう、と思ひたつた。」


私がもっと興味を持ったのは、

『黒髪の書』のあの一ページが動機になつて以来、初版本を蒐集しだしてもう十二年経つてしまつたが、今やうやく百四十冊の線を越えたやうである。」という一文です。

あつ、私と同じだ。そう思うと、いてもたってもいられなくなり、さらにGoogleで結城信一氏を調べてみました。

その後、上記の内容が日本古書通信社から出版されたこつう豆本120「犀星抄」(結城信一著)に再録されていることがわかりました。この「犀星抄」
は、今でも容易に入手することができます。

結城信一氏と日本近代文学館

見つけました。日本近代文学館で「日本近代文学館所蔵資料目録30 結城信一コレクション目録」(以降「結城信一コレクション目録」)が刊行物として販売されていることを。

そこには、「氏収集の室生犀星初版本などを含む359点」とあり、この時点で結城信一氏の犀星の蔵書が今は日本近代文学館に収納されていることがわかりました。

http://www.bungakukan.or.jp/

こうなったら目黒区駒場にある日本近代文学館に行って、その「結城信一コレクション目録」を手に入れるしかありません。

ということで、先日行ってきました。受付で展示室入場料を払うと同時にこの「結城信一コレクション目録」を購入しました。一刻も早く中を見たかったのですが、まずは展示を見ることにしました。

そこには「性に眼覚める頃」の初版が1Fに、2Fの展示室には忘春詩集等が展示されていました。(詳細割愛)

「日本近代文学館所蔵資料目録30 結城信一コレクション目録」販売価格630

この目録から多くのことがわかりました。

結城信一氏が亡くなったのは昭和591026日。夫人の松橋宗子氏から結城信一氏の蔵書の寄贈を受けたのが翌年の昭和604月。

結城信一氏の思いの詰まった犀星の初版本等のコレクションが散逸することなく、そのままの形で日本近代文学館に納められたのです。

目録には、「室生犀星の著書等224冊、雑誌1542冊」等となっており前述の月報の「百四十冊の線」から大幅に増えています。

また、それ以外に結城信一氏の原稿なども収められており、その中には「室生犀星全集(新潮社刊)」別巻二の巻末に収録されている書誌の調査メモや志稿なども含まれていました。

ということで、改めて「室生犀星全集(新潮社刊)」別巻二の巻末の「書誌」を見直してみると32頁に及ぶ充実したもので、確かに最後に「結城信一編」との記載があります。

「室生犀星全集(新潮社刊)」別巻二「書誌」

以前からこの「書誌」の充実ぶりには驚いていましたが、経緯を知ると、なるほどと思うところがいくつかあります。

「室生犀星全集(新潮社刊)」別巻二は、昭和43130日に発行されていますが、その後室生朝子氏、星野晃一氏編の「室生犀星書目集成」が最も詳しい犀星の著書目録として昭和611125日に発行されています。「書誌」は、その15年以上も前に作成されたものですが、装幀のみならず収録作品の内容などにも言及しており今でも充分に通用します。

また、「書誌」は結城信一氏が自らの蔵書の確認も含めて作成されたものらしく、信頼性の点でも優れています。

例えば、金星堂から大正111125日に発行された短篇小説集「幼年時代」に関して、「書誌」では正しく金星堂名作叢書23となっていますが、「室生犀星書目集成」では、金星堂名作叢書22となっています。

確かに重版では金星堂名作叢書22として発行されており、「幼年時代」の初版は非常に手に入れにくいため、「室生犀星書目集成」では重版を元にして記載された可能性があります。

「日本近代文学館所蔵資料目録30 結城信一コレクション目録」には、「幼年時代」大正11.11.25(金星堂名作叢書23)とあり、初版を所有していたことは明確で、その実物から正しく記載しているようです。

また、短篇小説集「性に眼覚める頃」の大正915日初版発行後に発行された新装(軽装)版の記載が「書誌」にはありますが、「室生犀星書目集成」にはありません。

これも「結城信一コレクション目録」に新装版の7版の記載があります。

など、簡単に比較しただけでも2箇所において違いがあります。

一方では、「書誌」にはないカバー、帯等の装幀に関する詳細が「室生犀星書目集成」には掲載されており、私にとって「室生犀星書目集成」は、犀星の著書収集のためのバイブルとなっています。
そして今回の件で、「書誌」も第2のバイブルとなりました。

結城信一氏の室生犀星初版本の蒐集に関して

「室生犀星全集 12巻」(新潮社刊)の附録の月報10号には、前述のように「黒髪の書」をきっかけに犀星の初版本蒐集が始まり、12年間で百四十冊を越えたとの記載があります。最終的に亡くなる昭和591026日までに「室生犀星の著書等224冊、雑誌1542冊」に増えたようですが、その道のりは簡単ではなく「東京新聞に『杏っ子』が連載される頃あたりから、急激に姿を消しはじめ、一冊一冊を蒐めてゆくのは大層困難なことになってきた。」との記載があるように犀星の人気とともに市場からその著書が瞬く間に消えていったようです。

その蒐集には、古書店山王書房さんが協力していたとの記載が結城信一コレクション目録」巻末の「結城信一の犀星本コレクションなど」(保昌正夫著)にあります。今では、インターネットを利用することで日本のどこからでも欲しい本を探すことができますが、当時はたいへんだったと思います。「日本近代文学館所蔵資料目録30 結城信一コレクション目録」を見ると文庫の類での重版が多く、その苦労が忍ばれます。

インターネット時代の今でも、この類の収集は時間と根気が必要ですので。

最後に、結城信一氏の犀星に対する情熱とその研究に深く感謝いたします。


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